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霧島ヒストリー霧島山御鉢 最後の噴火から今年でちょうど100年

霧島山御鉢 1923年7月11日噴火から今年でちょうど100年です。

ですです。

ウイキペディアより

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御鉢(おはち、みはち)は、九州南部に連なる霧島山火山である。

高千穂峰火山の西に接し、有史以降も噴火を繰り返している活火山である。

古くから噴火を繰り返していたため江戸時代以前は火常峰と呼ばれていたが、

火口の形状が飯櫃に似ていることから俗に御鉢とも呼ばれており、明治以降は御鉢の呼称が一般的となった。

火口内と西斜面は鹿児島県霧島市、北斜面は宮崎県小林市、南斜面は宮崎県都城市に属する

 

高千穂峰の西側斜面に寄り掛かるように重なる円錐形の火山であり、

直径約600メートル、深さ約200メートルの円形火口を擁する。

火口からは噴気が立ちのぼっており、しばしば火山性微動が観測される。

火口壁の頂上付近は絶壁をなしており、この上を通る登山道は

「馬の背越え」と呼ばれている。

北西から
火口東端と高千穂峰との間は窪んでおり馬の背のように見えることから「背門丘(せとを)」と名付けられている。

背門丘は天孫降臨の舞台であったとされ、かつては千里谷あるいは天河原とも呼ばれていた。

霧島神宮欽明天皇(540-571)の時代に、ここに社殿が建立されたのが始まりとされる。

噴火によってたびたび焼失したため、天暦年間には性空により麓の瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷される。

山体の地質は主として輝石安山岩からなる。度重なる噴火のため頂上付近の植生は乏しいが、

荒れ地に耐えるミヤマキリシマなどを見ることができる。

御鉢は高千穂峰が形成された後、今から3000年前以降に活動を開始した。

(中略)

大正時代以降[編集]

1913年(大正2年)5月19日から加久藤村(後のえびの市)で地震が多発する前兆現象があった。

半年後の11月8日夜11時に爆発し、高温の噴石と火山灰を放出した。

12月9日と翌1914年1月8日にも爆発し噴石を放出している。

1923年(大正12年)7月11日朝9時には大音響とともに噴火し、

噴煙のため登山者1名が死亡した。

2002年以降、しばしば火山性微動が観測されている

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