霧島山

霧島山

国立公園霧島は、東西22km、南北18km、面積は約20,386haに及び、鹿児島県霧島市・湧水町、宮崎県はえびの市・高原町・小林市・都城市などの一部にわたる地域です。主峰高千穂峰を中心として20数座の典型的な群状火山と、ぞくに48池といわれる大小無数の湖沼があり、コニーデ型、ホマーテ型、トロイデ型と、様々な火山がそびえ立つ中に、満々と蒼色の水をたたえる湖沼の美がさらに神秘さを加え、緑林・アカマツ林の中から白い湯煙りたなびく情景など、その恵まれた景観、自然美は世界でもまれであるといわれます。霧島国立公園は昭和9年(1934)で、阿蘇・雲仙と共にわが国で初めての指定を受けました。その後、平成24年3月16日に霧島錦江湾国立公園に分割再編されました。その恵まれた景観だけでなく、ミヤマキリシマ・ノカイドウ・イワカガミなどの高山植物から珍しい昆虫類・鳥類等貴重な学術資料も豊富です。

天孫降臨

天孫降臨

天の逆鉾 霧島は日本神話の中の天孫降臨神話にゆかりが深い地です。『古事記』によれば、ニニギノミコトは三種の神器をたずさえ、天岩戸神話で活躍したアメノコヤネノミコト、フトダマノミコト、アメノウズメノミコト、イシコリドメノミコト、タマノヤノミコトの5神にともなわれて、「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶽」に降臨しました。霧島山の霊峰・高千穂峰は、この天孫降臨の霊地に擬せられ、頂上には、いつのころに立てられたとの記録はないものの、神が官を営んだしるしとされる「天の逆鉾」が立っています。 

『日本書紀』には「日向襲高千穂峰」と峰の一字がみえますが、降臨の地はどこなのかをめぐって、宮崎県の高千穂町とする説と、霧島の高千穂峰とする説に分かれます。 『日本書紀』の襲は、『古事記』の国生み神話にある「熊曽国」と同じで、今の熊本県の南部から鹿児島県にかけてのあたりをさす地名です。高千穂峰山頂からの眺望は素晴らしく、明和3年(1766年)、霧島に登った医者・歌人の橘南谿は、その紀行『西遊記』に、

四方豁達(かつたつ)にうちはれ、 薩隅日の三州、 一望の中に入りて、
奥州波涛の如く、 大海は青畳をしきたる如し。
と、白い煙のたつ桜島山、屋久島、種子島、開聞岳、雲仙、英彦山など、九州の主だった山並みを一望し、日向灘から東シナ海に広がる海を眺めつつ、「景色無双、筆につくしがたし」と、その素晴らしさに感嘆しています。

高千穂峰

高千穂峰から見る太陽は日向灘に昇って東シナ海に沈む。天孫降臨の地をめぐり霧島の高千穂峰説と、宮崎県の高千穂町説があることはさておき、「朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある『古事記』の描写は、日の出から日没まで、太陽の動きのすべてを見ることのできる高千穂峰を連想させます。草木すらはえない鋭くとがった頂上をもつ円錐形の美しい山容と、四方を一望する眺望があいまてば、上古人でなくとも、いかにも国を統べるにふさわしい場所との思いが浮かぶことは、容易に想像できます。 天孫降臨の地をめぐるふたつの意見は、国学の隆盛を背景に、江戸時代の文人たちも関心をよせるところであったらしく、先の橘南谿は、高千穂峰に登って、

神書にいふ山これなり。 別に近世の人の高千穂峰という山、この国(日向をさす)にあれども、ことの外小さき山にして、神話にしるせる山にあらず。
 高千穂峰といふは、この霧島山なること種々確かなる証拠あり。 この山に登るものは、おのずから知るべし。
と、登山の感激をもとに、霧島説に軍配をあげています。